『曇天の月』 022

 
 親父が前に、俺に言った事があった。
豊臣商事に、買って貰えないかな、と。
まさに今、あっちから話しが来てるんだ。そうしたいなら、俺は構わないと思ったが、多分親父の中では葛藤するものがあるんだろう。
爺さんから譲り受けた会社を自分の代で無くしてしまうのは、流石に能天気な親父でも切ないんだ。

「別にさ、直ぐにどうこうしろって訳じゃないからさ、よく考えなよ、ナ?」

「……ああ、そうだな。」
そう言って、またテレビの方に目を向けた。



少し複雑な気分のまま、俺が工場へ戻ると、事務所で待っていたのは麗しの王子。

そういや、さっき入り口から出てきた杏子ちゃんの化粧が濃いと思ったのは、彼が来ていたからか。朝は普段の地味メイクだったのにな………。
女の子って分かりやすい。

「こんにちは。」「ああ、いらっしゃい。」
挨拶を交わし来客用の椅子に腰かけた。

「こんなボロい事務所でロクイチくんを見ると、なんだか違和感あるなー。」
すすけた壁に大輪の花が咲くような、そんな違和感。でも、それもイイね………。

「今日は資金繰り表を頂きにまいりました。朝、経理の方にお願いしてあったんで。」

「ああ、そうでしたね。こちらから持って行きましたのに、すみません。」
一応お礼を言うと「いいえ、ボクの仕事がなくなりますから。」と、笑顔を向けてくれる。
ホント、美しい。若いっていいな、なんてレベルではない。

「ねえ、ロクイチくんって彼女いる?」
俺は、その裏の答えを期待して聞いた。
”彼女”っていうのがミソで、ノンケは普通に”はい。”か、”まだいません。”のどっちかだ。
俺たちゲイは、お茶を濁すか、”彼女はいません”っていう。多分な!

「ボク、生まれて初めて心から好きになったのが同性なんですよ。だから彼女っていう人はいませんねぇ。」

「・・・・・・・・・」

いい意味で、俺の期待を裏切ってくれる。なんて正直者なんだろう。
もしかしたら、そんな発言は自分を下げてしまうかもしれないのに・・・・・。
俺だって言えないもんな・・・・・。

「すみません、気分を害したなら許してください。ボクはこれで・・・」
立ち上がったロクイチくんに、俺は思わず手で座れのジェスチャーをする。

「ゴメン、ちょっとそうかなって思ってはいたんだ。気分を害するなんて、まさか。正直で羨ましいよ。」
俺はそう言いながら、心から羨ましいと思っていた。まだ、司との事を公には言えない自分が歯がゆくもある。
「今度、時間あったら飲みに行こうよ。その、好きな人も一緒に、さ。」

「はい、ありがとうございます。伝えておきますね。」

「うん、よろしく。」 「はい、ではこれで失礼します。」
一礼して去っていく後ろ姿に、ちょっとだけぼーっとなった俺だった。










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