『曇天の月』 023


 「若社長、お電話です!」

杏子ちゃんの声で王子の余韻は消え去った。
「はい、・・・どこから?  っていうか、若社長じゃないってば!」

「豊臣商事さんからです。」と言ってニッコリ微笑むが、俺の言葉はスルーみたいだ。

「はい、お電話変わりました。」

「矢野です。・・・今日は工場にいらっしゃいますか?お時間ありましたら伺いたいのですが。」

電話は司からだった。もちろん仕事の時は互いに名字で呼び合っている。でないと、なあなあになってしまいそうで。
「はい、今日は工場におりますので、どうぞ。・・・おひとりですか?」社長と来るのかと思い聞いてみたが
「はい、わたし一人です。3時過ぎに伺いますので。」

「わかりました。では・・・」
ごく普通に会話を交わすと電話を切る。

「矢野さんでしたね。」
そう言ったのは杏子ちゃんだったが、みんなイケメンには興味しんしんで、頭の先からつま先まで観察力ハンパない。
司が、営業は身なりに気を使うと言っていた言葉を思い出した。

確かに・・・取引先の同性の目はどうって事ないが、女子社員の目は肥えているから。
何処の営業がカッコイイとか、お菓子の差し入れをくれるだとか、そんな情報が飛び交っている。

「3時に見えるらしい。・・・良かったらこれでケーキでも買って来て。」
俺は尻のポケットから財布を出すと五千円を渡した。

「え、若社長食べるんですか?」杏子ちゃんが驚くが、
「矢野さんがみえたら出してくれ。あとは君たちで食べていいから。」と言った。
「うっわ!太っ腹、私これ全部ケーキに使っちゃいますけど。」
両手で五千円を伸ばして広げるから、「いいよ、好きなもの買ってきなよ。」と言った。

「はい、了解しました!!」

杏子ちゃんは、何故か敬礼をして事務所を後にした。

クスツ、と笑った俺が自分の席につくと、別の男性社員は「涼介さんは、ホント女の子に弱いですねー。」と言って俺を見た。

「そうかな、普通だろ?!」
と、言ってみたが、自分でもうすうすは気付いている。
自分の性癖(ゲイ)という事を隠そうとするせいで、女の子には必要以上に優しく接してしまうんだ。
もちろん誤解されない様に、そこはちゃんと釘を刺しておくんだけど。

「彼女さんはヤキモチ焼かないですか?」

「あ?・・・うん、まあね。大丈夫だと思うよ。」

「心の広い彼女さんで良かったですね?!」

「・・・そうだな。ははは、」

これが、俺のバリアだ。
”彼女持ち”と言っておけば、丸く収まる。そのうち結婚話が出るんだろう、ぐらいに思っていてくれたらいいし。
いないと言ってしまって、色々世話焼かれるのも面倒だからな・・・。


こんなウソを何年もついている俺は、ロクイチくんの正直さが羨ましい反面、怖くも思えてくる。
大した人間じゃない俺のような男でも、ゲイだと知られるのは、ちょっとマズイと思ってしまう。
仕事で培ったものが、崩れてしまうんじゃないかと思って・・・・・。

なかなか窮屈な世の中だよな・・・・。






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