『曇天の月』  035


「何かあったのか?」
津田先生が席を外すと、俺は司に聞いてみた。

「今日、お前の親父さんがうちの社長の所へ電話してきた。会社を豊臣に譲渡するって・・・聞いてないのか?」

「え!?.............聞いてない。」
全くの、寝耳に水だった。あの資料だってまだ俺の手元にあって渡していないし・・・

「内容は、うちの社長が口頭で説明したらしいけど、それで飲むって話だ。急きょオレに、話をして来いって言われて。」
司も半ば呆れているようだった。あの、冷ややかな眼差しは、俺がこの話を隠していたと思っていたんだ。

会社を譲渡するって事は、すべてを投げ出すって事だろ?!仕事も、社員の事もちゃんと考えてるのかよ!
俺は、自分の親ながら腹立たしくなった。昔からそうだ、今の事しか考えていないんだ。

「お待たせしました。」
そう言って津田先生が相談室に戻ってくる。
俺は司の方をちらりと見るが、資料を手に取って内容を確かめた。

「お父さんは、こちらの内容で譲渡を考えていらっしゃるんですね。」
「や、・・・すみません。自分は、今初めて矢野さんからお聞きしたばかりで・・・」
正直に先生に話すと、大きくため息をつく。

「そうですか・・・まあ、それでも社長が決定された事ですし・・・・」
「はい、そこは従いますが・・・」
俺は社長の息子だが、肩書はただの社員。工場長ですらない。

「豊臣商事さんは、こちらで話を詰めさせて頂きますので、お父さんにはそうお伝えしてあります。」
津田先生は、俺の顔を見ると安心させるように微笑んだ。優しい笑顔を向けられて、自分が情けなくなる。
結局俺は、親父にもあてにはされていないんだ。頼りないって事だろうな。

「真柴さん、帰りにちょっとお時間頂いていいですか?」
司が、いつもの営業の顔になった。
「はい、大丈夫です。」
俺も仕事の顔で返事をした。
俺たちの間に、仕事の色が濃くなると、色恋の匂いは完全に消えた。
ここからは、ビジネス。互いの思惑が交差する。







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