『寄り道しないで帰ろうよ。』 205号室-2


 このマンションの通路には、音が立ちにくいようにクッション性のある床材が貼られていて、俺の気持ちの表れが足音に出なくて良かったと思った。今、俺はちょっと腹がたっている。

 205号室から順に、先日出会えなかった部屋を訪問したが、どういう訳か他の部屋の住人には会えなかった。
 どんな仕事をしているんだ。平日の夜8時過ぎに家に帰っていないなんて.......。

「拓海ぃ、帰ろうよ、お腹減った。あとは又今度でいいだろ?一応ポストの中に挨拶文入れてあるんだしさぁ。」
 アツシは愚図るが、その割には顔がニヤケていた。さっきの大学生と話してからずっとこんな顔だ。

「ああ、今日はもうやめだ。今夜の飯はそうめんだからな。」
 俺はアツシに言うと、部屋に戻ろうと向きを変えた。確かに、挨拶文は入れておいたし、その内会えるだろうと思って。
「そうめんかー、オレ、昼に冷し中華食ったんだけどなぁ。.......ま、いいか、何でも。」
 アツシは俺の背中に手を当てると、押す様にして歩く。俺だって今日の昼は蕎麦だった。でも、これから材料を切って調理するなんて気にはなれない。手っ取り早く腹がふくれればいいんだし.....。

 
 部屋に戻ると、鍋に水を入れて湯を沸かした。その間にトマトやキュウリのサラダを作っておく。
「なんかすっごくヘルシーだな。」とアツシが言って、俺の背後から手元を覗いた。
「夏だし、こんな時間だから肉とか食えないだろ?!」
 夜の9時近くになってからの晩御飯は身体に悪い気がして言ったが、アツシは「おじいちゃんかよ。若者は肉。肉だろ?」と俺の肩に手をやると言ってくる。

 ここに移ってから、俺たちは遅くに外食をしなくなった。どちらか早い方が何かを作って待っている感じで.....。
 そう言えば、昔はアツシが夜中まで遊んでて、一緒にご飯を食べなくても気にしなかったのに、今は当然のように二人で食事をする事が普通になっている。全く、変われば変わるものだ。

 そうめんとサラダをテーブルに運んで、二人で向かい合って食べる。会話は無くても、ズルっとそうめんをすする音が俺たちのBGM。とても安心する音だった。

「さっきの学生、田嶋くん、だっけ?!可愛かったよなーッ。俺たちより四つも下なんだな。今日はバイトとか休みなのかな。」
 突然アツシがそんな事を口走る。すると、俺の脳裏には、あのえくぼの顔が浮かんできた。左の頬にだけえくぼが出来るなんて初めて見たが、確かにカワイイ顔だった。

「おい、ひょっとして...........、ああいうのがタイプ?」
 なんだか嫌な感じがした。顔は似ていないが背格好はミサキと同じくらい。
「.............、は?まさか。」
 返事を返すのに少しだけ間があいて、それがかえってタイプだと言っているようなものだった。
「そういえば俺、アツシの付き合った奴ってミサキしか見てないなぁ。ゲイバーでどんな奴と遊んでたんだ?」
「バカな事聞くなよな。ミサキだって、初めは別に好きとかじゃなかったんだし。オレを置いてくれるっていうから.....。それに、今は拓海がいるだろ?!オレが好きなのは拓海。」

 恥ずかしげもなくそんな事を言うが、元ヤリチンと呼ばれたアツシの事だ。俺は、向かいに座ってトマトを酸っぱそうに頬張る顔をじっと睨む。

「も~~~っ、何だよ~~っ、ホントだって。ゲイバーだって全く行ってないじゃん!オレのタイプがどんなのでも、拓海より好きな奴なんて現れねぇ。」
 アツシが少しだけ頬を赤くして言うから、俺も信じる事にする。ゲイバーにも行ってないのは事実だし。

「分かった、信じる。まぁ、あの子なら女子にモテそうだしな。それに、俺の周りにばっかりゲイが集まってたまるか。」
 そう言うと、昼間出会った先輩の神谷さんを思い出したが、ひとまずはそうめんを食べきって腹を満たすことに集中。ゲイだ、何だと決めつけるのも可笑しな話だし。

 俺は食べ終わった皿を手に持つと、流しのシンクに浸けた。









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