『寄り道しないで帰ろうよ。』 205号室-19



 翌日になると、アツシの火傷の傷も少しだけ良くなった様で、薬だけは塗り込んで仕事に出かけると言うので、起こす事にする。

「ちゃんと包帯とか巻いておく方がいいんじゃね?コンビニで売ってたら買えよな。」
 俺は、テーブルに肘をついて半分目を閉じたアツシに向かって言う。目の前のコーヒーを眠りながら飲んでいるようで焦るが、時間がない俺はそれだけを言って玄関へと向かった。

「行ってきまーす。」
「行ってら~」

 アツシのダルそうな声に送り出されていつもの道を急ぐと、駅の改札の所で村上くんを見かける。

 目の前を歩いている姿を見なかった俺は、ちょっと不思議に思ったが、こちらを向くわけでもなく視線も合わない。もし合ったら会釈でもしておこうと思い、目で追っていると、彼の立つ場所に近寄る女の子の姿が目に入った。
 いかにも大学生風の彼女は、黒のタンクトップに薄いレースの付いた長めのカーディガンを羽織っていて、下はショートパンツにヒールの高いサンダル姿。村上くんとはお似合いの、といった感じで、多分彼女の接し方からすると村上くんの’カノジョ’なんだろうなと思った。

 そのまま横を通るが、まだ気づかない様なのでそっと通り過ぎる。
 と、俺の乗るホームの柱の陰に、またもや見知った顔が覗いているのを発見して今度は声を掛けようと近づいて行った。
「おはよう。昨夜は薬を有難う。」
 そう言うと、何処かを見ている田嶋くんに声を掛けた。

「あッ----、ああ、おはようございます。」
 どこを見ていたんだろう、俺の声に驚くとやっとこちらに目をやる。

「おかげで大事にはならなくて、水ぶくれも大丈夫そうだ。」
「そうですか、良かったです。僕もたまに油が飛んだりして火傷しちゃうから.......。」
「そうそう、薬は新しいのを買って返すから。アツシもその方がいいっていうし---」
 俺が田嶋くんに言うと、「いいんですよ、使いかけだし、ストックはありますから。気にしないで下さいって、アツシさんにも言っておいてください。」

 少し微笑んで言うと、田嶋くんは柱の陰から出て歩きだした。
「学校?」と聞いてやると、「はい、そうです。」と言って俺の横に並ぶ。

- やっぱりこっち方向か.........。
あの日、アツシと一緒に反対のホームへ行ったのは、何処かに寄る為だったんだろうか。

 混みあった車内では田嶋くんと話す事もなく、俺は自分の降りる駅に着くと「じゃあ、」とだけ言って目を合わすと降りて行った。

 村上くんは同じ大学だけど、学年も違うし一緒に行くことは無いのかな?でも、昨日は一緒に帰って来たよな---。
 そんな事をぼんやりと考えながら会社へ着くと、俺の机の上に何やら資料が山積みになっていて。

「何なんですか?これは---、自分に目を通せって事ですか?」
 向かいの西さんに聞いてみると、
「谷口さんがさ、今朝持ってきたんだよ。山城くん英語得意だろうからって、海外の商品のパッケージサンプル、訳してくれってさ。」
「はあッ?それ、営業の仕事ですか?違う部署の仕事でしょ?」
「まあ、自分もそう思うけど...........、なんだかね~。」

 西さんに食ってかかっても仕方がないが、当の谷口さんの姿が見えなくて。
「どこ行ったんですか、谷口さんは。」
「朝一で外回り行くとこあるからって、出て行った。」
 西さんが眉をひそめて言うが、俺は無性に腹がたって、ジャケットを椅子の背もたれに掛けるとそのままふんぞり返った。
 
 
 それでも、一応先輩の依頼には応えなければならない。
 渋々目の前の資料を広げると、机の引き出しから電子辞書を取り出して机の端に置いた。

「谷口さんてさぁ、人事部の夏目さんの事気に入ってたでしょ?!それを山城くんに取られちゃったもんだから妬んでるんだよね。」
「は?-----いつの話ですか?!」

 西さんは、向かいの席で肘をつきながら俺を見て言ったが、夏目さんというのは別れた彼女の事で、取るも何も、谷口さんには奥さんも子供もいる訳で、そもそも夏目さんだって、谷口さんのそんな気持ちは知らないだろうに。
「まったく、何考えてるんでしょう。自分は彼女と別れましたし、谷口さんの恨みを買うような事ではないと思うんですけどね。」

 男の嫉妬はみっともない。-----、とは言え、俺も田嶋くんに嫉妬なんかした身では、谷口さんの事は笑えないか。

 仕方なく、粛々と英単語を訳す。それほど難しい言葉は使われていないので、取り敢えず午前中には終わらせるだろうと思った。

「どうして夏目さんと別れちゃったの?カノジョおとなしそうでいい子だったでしょ。勿体ない。」
 西さんは小声で言い、俺が前を向いて目が合うとニヤッと笑った。顔には興味深々と書かれている。
 人の恋路を聞いたところで、自分とは何の関係もないのに、と思ったが、無視するわけにもいかず........。

「仕事中ですから、それは又今度。」と言っておいた。

 西さんは首を竦めると黙って作業を続ける。
 それをチラリと上目遣いにみれば、俺も続きをこなす。


- - 
 夕方近くになると、残業して終わらせる仕事もないので、俺は休憩のついでにアツシにメールを送っておいた。
『今夜はまっすぐ帰る。薬は要らないと田嶋くんに言われた。なんか作っておくから。』
 そんな簡単なメールを打って、すぐに席に戻る。


「月曜日は、千葉のT百貨店に行くからそのつもりで。多分帰りは遅くなりそうだよ。向こうの担当が飲みに行きたいらしい。」
 西さんが帰り支度をする俺にそう言った。
「分かりました。自分の方で店の手配はしておきます。じゃあ、お疲れさま。」
「はい、ヨロシク。土日、ゆっくり休んでね。」
「.........はい。」

 西さんと周りの同僚にお辞儀だけすると、そのまま部署を後にした俺は、心の中でだけ「チツ」と舌打ちをする。
 千葉で飲みになんか行ったら、帰って来るのが何時になるか----。
 とは言え、営業の辛い所で、そこも仕事の内。たまに、こちらがもてなされる事もあるし、そこは付き合いと割り切らなければ務まらない。



 俺は、アツシにメールした通りに駅からまっすぐマンションへと帰って来た。
 冷蔵庫の中には、昨日アツシが買い込んだ食材があったし、昨日の火傷騒ぎで使わずじまいだったから、今夜はそれで何か作っておこうと思った。

 部屋に入ると、すぐにシャワーだけ浴びて、Tシャツに着替えると冷蔵庫を漁った。難しい料理は出来ないが、簡単で腹が膨れるものは作れる。野菜と肉とを取り出すと、それを炒めて中華風に味付けしようと思った。
 まな板を取り出して、キャベツを置いた時、キッチンに面した壁のインターフォンが’ピンポーン’と鳴ると来客を告げる。

 誰だろうと思い、中で受話器を取ると、「どちら様ですか?」と聞いた。

 暫く返事がないので5秒くらい待つと、「あの、...........夏目、です。」という少し震える彼女の声がした。

「........え?!.............なんで?」
 思わず発した俺の声に、「すみません。」という涙声の彼女。俺は胸が焼ける様に詰まると、慌てて玄関のドアを開けに行く。



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