『迷惑な落とし物。』36



 「そういえばさ、この前の、おーはらが呼びつけたハルミ君の友達って、会えたの?」

マスターはちょっと複雑な笑みを浮べて訊いた。あれが大原さんの悪戯だって事、分かっているみたい。

「はい、会えましたよ。ここを出たところで.....。すぐに帰ってもらいましたけどね。」
俺はウソをついた。本当は寸前の所でこの店に入って来られるところ。
そして、その内店の雰囲気とか客層とかでここがゲイの来る店だって気づいてしまう。それを大原さんは面白がったんだろう。
でも、生憎そこはなんとかなった。ドアの前で出会ったのがラッキーだったんだ。

「まったく、大原さんってああいうイタズラ好きなんですよね。俺を困らせたいのかな。」
マスターに愚痴っても仕方がないけれど、つい。

「ははは、おーはらは案外人の気持ちの分かるヤツなんだよ?!きっと、ハルミ君にはその人が必要だって思ったから呼んだんだろ。まあ、悪戯が好きってのはあながち間違ってはいないけどな。」
云いながら笑っているマスターの眼差しが、なんとなく身内の失態を詫びるみたいになっていて、俺の方が申し訳ない気持ちになった。

「大原さんとは古い付き合いなんですか?ちょっと歳が離れているみたいですけど....」

「..........そうだな、古い、........のかな。あいつが美容の専門学校に入る前から、だから。」

「そうなんですか。」

俺はそれ以上は訊かなかった。なんだか答えてくれたマスターの顔がちょっと困った様な表情だったから。踏み込むのは遠慮した方がいい。

「このメニューって、いつもあるんですか?」
別の話題を提供すると、ホッとしたように「無いけど、作った時は知らせるよ。また食べにおいで。」と微笑みながら言ってくれる。
ありがとうございます。とお礼を云ってシチューを平らげるとワインを飲み干した。

小一時間ぐらい店にいた俺は、気分も落ち着いて部屋へ戻る気になる。
帰る家はあそこしかないし、明日は又仕事。朝も早い。



* * * 
水曜の朝が来ると、またいつもの様に一週間が過ぎてゆく。

大原さんが正臣のカットを褒めてくれたのは事実だが、まだお客さんのカットを任されるまでにはなっていない俺。
でも、一応指導者としての見栄があるのか、大原さんがカットモデルを探してくれて、週に一度のペースで俺は技術をマスターする事が出来た。

大原さんの指導は相変わらずボディータッチが多いけど、そこはガマンしながらやりこなす。
それに、やっぱり大原さんの好みは年上の人みたい。
俺みたいな年下の男は揶揄うだけで、付き合う相手としては見てくれない様だった。まあ、俺も大原さんは苦手だし。
師匠としては尊敬するけれど.........。

「そろそろ、子どものカットとかしてみる?」

店長からそう云われたのは、正臣が姿を消してからひと月が経とうとしている頃だった。
入学シーズンで、お客さんが子供を連れてやってくることが増えていた。
小学生ぐらいならなんとか出来そうだし、俺もちょっとは気合を入れなきゃ。いつまでも正臣の影を追っていても仕方がない。

あれから一度も連絡はなかった。
じゃあな、なんて軽い言葉を書き連ねていたくせに、ライン通知も無いまま。時だけが過ぎて行き、俺はアイツがやってくる前のごく普通の生活に戻っただけだ。
喉に刺さった魚の小骨みたいに、いつまでも違和感を覚えながら、でも、何をしたって取れやしない。
心がスッキリする事はなく、部屋の中にアイツの影を見つけてはチクチクと痛む胸を押さえるだけだった。



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